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絶倫ファクトリー

生産性が高い

愛国心

について四時間延々議論してきました。

朝日新聞の記者付きで


なんかねぇ、議論がえらい散漫になっちゃったんでここにはあまり書きませんが、結局愛国心て究極的に突き詰めると「国のために良く生きる」ってことであって、いかに「良く生きる」かが議論の的になりやすいんじゃないでしょうかね。だって一口に愛国心といっても、若者の礼儀や振る舞いに関して愛国心を持ち出す老人もいれば、それこそ自衛隊で命を掛けて国を守るかどうかで愛国心を持ち出す人間もいるわけです。どちらも、自分の外に感じる広義の「社会」を「日本」という国に置き換えて話してるわけですよね。その「社会」=「日本」の中でどう「良く生きるか」が、それぞれバラバラになるから議論になりやすい。

だから、「日本が好きじゃない」と言い、日本の悪いところを挙げてこうすべきだこうすべきだという意見をいう人も、ある意味愛国心があるんだと思いますよ。本当に愛国心がないのは「どっちでもいいよ」って人。というか「どう良く生きるか」に全く関心を示さず、他人が精一杯「良く生きている」環境にただ乗りして生きる人。いわゆるフリーライダーです。これが一番駆逐されるべきじゃないでしょうか。いや、ずるいでしょ。端的に。

だから逆に言えば、教育基本法を変えたり国旗国歌を強制したところで、こうした意味での愛国心は育たないような気がします。上から無理やり押し付けてどうにかなるもんでもない。
にもかかわらず愛国心愛国心って言ってるのは、そう騒ぎ立てる人たちにおそらくそのほかの目的があるんでしょう。それが何かは、それぞれ違うでしょうし愛国心の言葉の文脈も違うでしょう。

大体ですね、好きなものを改めて「好き」って言うときって、絶対なんかその理由なり目的があると思うんですよ。好きな食べ物は?って聞かれるとき、聞かれる理由、聞いた目的みたいのがあるわけで。アンケート調査だったり話のきっかけにしたいだけだったり。わざわざ何もないところでいきなり好きな食べ物の話とかしないわけですよ。聞かれてもないのに「好き!」とか騒いでも、だから何なんだっつー話です。だから、こんだけ愛国心愛国心て言われると、いやがおうにもその言葉の裏に何かの意図を感じざるを得ません。

じゃあ、その裏に何があるのか。それについてはまた気が向いたら書きます。眠い。