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絶倫ファクトリー

生産性が高い

日本語とコード

社会学

よく言われることかもしれませんが、日本語って「言葉」に不誠実な言語な気がします。他の言語と比べたわけじゃないから分からないんですが。

たとえば職場の飲み会で上司が初めに「今日は無礼講で・・・」と言っても、実際には読んで字のごとくの無礼講ではやっぱり上司は怒り出すわけです。これは、「無礼講と言っても本当は無礼であってはいけない」という、明示化されていないコードを知らない人間を暗に排除している。ある集団の中において、コードの知覚の有無で人間を排除し得る構造を持っている。日本語が日本語らしいと言われる特徴のひとつの気がします。

ところでこうしたコードは、そのコードを持つ人間とコミュニケーションを重ねることでしか手に入らない(あらかじめコードの一覧表見たいのを手に入れて学習すれば別ですが)
だからコミュニケーションは、コードの伝播・継承という役目を持っていたわけです。ということは、日本語はそうしたコードの存在を前提とする限り、ある集団の中でコミュニケーションを維持していくことが必要なわけです。

ところが経済成長と共に日本は都市化が進み、かつての地域共同体的なコミュニケーションは維持されなくなった。いわゆる流動化の進展。そうするとかつてあった特定の集団は解体され、そこにあったコードも散開する。ここでコードを知る世代と知らない世代の絶対的な隔絶が発生する。

今の「俗流若者批判」に見られるような年長世代と若者世代の隔絶は、ひとつにこうした構図が見て取れそうな気がします。