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絶倫ファクトリー

生産性が高い

謹賀新年

日常を綴る

あけましておめでとうございます。2006年は多くの方々に見ていただきました。本年もよろしくお願いいたします。

年越しは友人二人と居酒屋の中で迎えた。なかなか楽しかった。理系二人に囲まれていたので、普段しないような会話が生まれた。
そんな中で印象的だったのが、うち一人が言った「社会的に役にたたない勉強は面白くないんじゃない?」という言葉。彼は理系でコンピュータ系の専攻だったはずで、なかなか実学的な志向を持っているらしい。だがそもそも文系で社会の中で直接的に役に立つ学問などない。実学的といわれる法学ですら根本的に役に立つものではない。
思うに彼ら理系の人間は物事を演繹的に考える方法を主としており、文系は割りと帰納的な方法を使う。少なくとも帰納的である事を嫌わない。
友人たちはどうもそうした文系の帰納的な部分に不信感を抱くらしい。なるほどわからないでもない。だが我々文系は彼らが持つ演繹の演繹たる所以−演繹のスタートとなる前提事実−に不信感を抱く。果たして絶対的な正しさなどあるのか。そして例え前提の正しさを証明する方法が示されたとて、その手段が正当であることを証明する必要がある。そしてその証明方法をまた証明する必要が…というように、無限後退を起こす。
我々はその無限交代をどこで、どのように止めるのかを議論する。方法そのものを疑うのだ。
そしてこうした方法そのものを疑うという考え方は、理系とはまた違った意味で文系が持つ社会的価値であり、意義であろう。逆に言えば、−自戒を込めて述べるのだが−、世の前提や方法論を素朴に受け入れるだけでは、文系に価値はない。