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絶倫ファクトリー

生産性が高い

正月と資本主義

社会学

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

昨年は、ブログを通じて学園祭で文章も書かせていただいたり、勉強会参加させてもらったりと、「ブログ書いててよかったなぁ」と思うことが多くありました。今年もまたそんな風な年にしていきたいと思います。

ところで2週間遅れで気づいたんだけど、このブログでちょくちょく取り上げてる「文化系トークラジオ Life」の次回予告編にこのNo Hedge!が取り上げられていました。予告編は普段聴かないからシラナカッタッス。。。

次回「文化系大忘年会」予告 (文化系トークラジオ Life)

中盤にちょこっと出てくるだけですが、ほんとにリスナーと距離の近い番組だなぁと感じます。
こちらはこちらで、そうして取り上げてもらうとやっぱり何か書くモチベーションになるし。

資本主義と伝統と文化

で、本題。まずはこちらのエントリを。

F's Garage @fshin2000 :もう正月に休むという考え方は終了で良いんじゃないだろうか。

正月三が日いっせいに休むと経済活動が鈍るから、もう普通に働いちゃわない?という話。
どうもいろいろ突っ込みどころが多かったらしく、コメント欄、はてブコメント含め炎上しかかっている。経済活動と正月の関係については、僕じゃなくてももっと詳しい人が突っ込んでくれてるので良いとして、問題はコメント欄やはてブのコメントの方である。
元エントリ及び著者に対して非難を加えてる人の論調としてちらほら見られるのが、「正月に帰省して親戚一同集まるのは日本の伝統」「正月にマック行ってるなんて下流ですね」というもの。正月に親戚一同が集まるのは日本の伝統で、正月からみんな働くなんかダメだ、そしてそんな時にマック行ってるお前は文化資本低い、という話である。
しかしそうした「正月に帰省して親戚一同集まる」という流れは、産業構造が家族単位から企業単位に変わった近代、特に第一次産業から第三次産業へと産業の中心が変わっていた戦後以降の「伝統」ではないのか。*1人々がイエを離れ学業や就職の関係で日本全国に散らばり、それが当たり前のことになったのは、この50年くらいなもんである。2000年の歴史を誇るこの国で、たかだか50年続いた現象が「伝統」なのだろうか。もちろんそれ以前にも正月に親戚一同が集まるという習慣はあったのだろうけど、現在のような意味合い、重要性を持つようになったのは割りと最近だろうし、そしてそれは「下流」なマクドナルドを支える資本主義によって、同じように支えられている「伝統」である。近代における資本主義の台頭が、人々を物理的に切り離し、その論理に適する場所に再配置した。そして同じ資本主義の理論がまたマクドナルドの台頭をもたらした。

なので、「正月に帰省して親戚一同集まる」という「伝統」をありがたがる人も、正月からマックに行く人も、近代資本主義の構造をベースにしているという点では変わらない。それぞれの「生活世界」の中に見えている「システム」の量が違うだけである。フォーディズムの象徴であったクルマで、日本の資本主義を支える高速道路に乗って帰省している人間が、同じ根を持つマクドナルドで飯を食う人間を笑えはしない。

そしてそうしてたどり着いた「故郷」でおせち料理を食べることが「上流」な文化で、マクドナルドでメガタマゴを食べるのが「下流」な文化だと言うならば、そんな「文化」なぞ焼いて燃やしてしまえば良い。そのような、「何を消費したか」で決まる「文化」とはまさしく彼らの非難するところの近代資本主義が生み出した「消費文化」であり、軽々しく「文化」の一言で括ってしまっていいものではないだろう。

僕は別に正月に帰省して親戚が集まることを否定したいわけでも、資本主義が嫌いなわけでもない。ただそういった日本の正月の「伝統」が、日本の大切な「文化」であり、「資本主義」なんかとは全然関係ないもんだぜ、という意見を見て違和感を覚えたのである。正月休む休まないのといった話は僕にとってはどうでもいいのだけれど。

*1:http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/5240.html