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絶倫ファクトリー

生産性が高い

 NHKスペシャル 「五年一組 小皇帝の涙」を見た。

昨夜のNHKスペシャルの番組。一人っ子政策下の中国で、小学生の頃から苛烈な学歴競争に巻き込まれる子供たちとその親に焦点を当てている。

苛烈な学力重視

とにかく驚いた。日本の学歴主義なんか蜂蜜のごとく甘い。とにかくクラスの中で重視されるのは成績。「将来就きたい職業」を言わせても、医者、証券トレーダー、国家主席(!)など、成績が良い人がなる、とされているものばかり。極めつけは、成績のよくない子供が「医者になりたい」というと、担任の先生が「医者は成績がよい人間がなるもの。頭の悪い人がなっていいものではない」と全否定。子供涙目。
さらにクラスの学級委員を決める投票には、親も参加する。クラスメートとその親の前で、立候補した子供たちはそれぞれ自己PRをする。成績が良い、やる気がある、綺麗好きだ、などなど。そして投票は、横一列に並んだ立候補者の前に置かれた箱に、子供や親が投票する。箱といっても浅く蓋の無いもので、誰がどれだけ得票しているかは丸見えである。成績の良い男の子には多くの票が、悪い子にはほとんど票が集まらなかった。そしてその過程を、候補者の子供たちはずっと見なければならない。成績の悪い子は、投票が終わらないうちに目から涙をこぼしている。結局選ばれたのはクラスで一番成績の良い子だった。

このクラスでは勉強の成績が全ての序列を支配している。グループ決めをするときも、成績の悪い子はハブられる。そして子供たちの中だけでなく、親もまた成績という序列に支配されている。親には定期試験の順位表(おそらく実名入り)を通じ、誰が成績が良いのかを知っている。そして自分の子供に「この子より良い点数を取りなさい」などと発破を掛けるのだ。

当然全ての子供が良い成績を取れるわけではなく、授業についていけないような子供もいる。またたとえクラス内の成績で上位に入っていても、「一番じゃないとダメ」と親に叱られる子供もいる。そうした苛烈な環境に、子供たちの一部は不満を抱いている。番組後半では、頑張っているのになかなか親に認められない子供の苦悩を取り上げ、ついには親と子供が意見交換をする場が設けられる。

しかし成績に厳しい親の言い分もそれはそれで理にかなっている。中国では、著しい経済成長にも関わらず大学新卒の就職率は七割。人口に経済がまだ見合っていないのだろう。なので新卒できちんと就職するには、良い大学に入らなければならない。そのためには小学校の頃から英才教育が必要なのだ。「英雄は生まれたときから英雄」という中国の諺を引く親の言葉がそれを示している。

また一人っ子政策も一因のようだ。ある親は「一人っ子だと、その子供が成功すれば100%成功。失敗すれば100%失敗。子供が失敗してしまえば、家族の負担が増えるだけ」と言う。つまりその一家の行く末は、100%その子供一人の肩にかかっているのだ。

社会システムの一機能としての教育

学力があらゆる序列を支配するこの環境を、僕は今のところ良いとも悪いとも言えない。確かに成績の悪い子には辛いどころか生きていけないような環境である。だがそれは「おちこぼれを救わず、少数のエリートを選出するためのシステムだ」と言われてしまえば、どのようなシステムを採用するかの違いに還元される。教育とは、社会を動かす歯車を生産する機能である。社会システムの一機能としてみれば、成績の悪い人間を救済することは自明のテーゼではない。過程がどうであれ、それで社会が回れば構わない。日本は少なくとも公教育においては下に合わせるシステムを取っているが、中国は違うシステムを採用している、という程度のことである。
ただこれは、10億人のおちこぼれを切り捨てても、まだ2億人いる中国でこそ機能する思想かもしれない。日本でそのようなシステムを作ってしまったら、あっという間に見捨てられた人間で国が溢れ、この国の経済を支えることは出来なくなる。中国の新卒の内定率が七割と言うのは、逆に言えば現時点で社会を回すのに必要な追加人材は新卒の七割程度の数で良い、ということだろう。日本がそのような状況にあるとは思えない。

ただ心配になったのは、本当にこのシステムで社会が回るのか、ということである。過酷な競争によって選ばれた少数のエリートが、その他大勢のおちこぼれを動かせる社会のシステムになっているのか。エリートはエリートの社会で、おちこぼれはおちこぼれの社会で、それぞれ何の政治的経済的接点も無く、隔てられた世界で暮らしてしまうような事態になれば、社会の歯車を生産する機能としての教育は破綻していることになる。教育の目的は社会の分断ではない。

中国のこのシステムが本当に社会を回せるのか。今の「小皇帝」たちが就職戦線に入る10〜15年後、もしくは彼らが社会の歯車として本格的に機能し始める20〜25年後、その答えは出るだろう。逆に言えば、その程度の時間が経たないと教育の善し悪しは判別できないのではないか。もしかしたら、答えが出たときには手遅れなのかもしれないが。