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「なりきり」はなぜ擬似恋愛なのか

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この2つの記事を読んで、ふとなぜ「なりきり」が擬似恋愛になるのか、考えてみた。

 

それは「なりきり」も恋愛も、もある種の「役割への期待」に答えながらコミュニケーションをしていくものであり、かつそのコミュニケーションの履歴は他には無いユニークネスを持つ(と当事者は思い込む)からだと思う。

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なりきりは演劇と普通のチャットの中間的な存在だ。演劇が決められたセリフを台本通りに発するのに対し、チャットは台本などなく、アドホックな言葉のやりとりが続く。なりきり、特になりきりチャットの発話は、事前に相手が発した言葉への応答でもありつつ、自分がなりきっている役割に向けられた相手からの期待にも応えている。相手の言葉と、相手の期待との交点に自分の言葉があるのだ。

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同様に、恋愛もまたなりきり(チャット)のように、相手の発話に応えつつ、同時に恋人としての役割への期待にも応えている。またこの図には書いていないが、発話者は相手の期待に応えられたことを相手の表情や言葉から読み取る。それがコミュニケーションのモチベーションを更に上げる。

 

相手の言葉と、役割への期待に応える。うまくそれに応えられたことが、コミュニケーションをさらにスパイラルさせていく。この相互認識の渦は、得てしてそこで生まれたコミュニケーションが他には無いユニークなものであることを、錯覚させる。この錯覚が、「なりきり」を、擬似恋愛にさせているのではないか。

 

冒頭の記事には他にも「創作的恋愛」の話や、ゲームとの類似性など様々な視点が含まれている。また恋愛との類似だけでなく、「人狼」などにも応用出来るかもしれない。

 

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