絶倫ファクトリー

生産性が高い

Fit or Fittest?


とりあえず三省堂web dictionaryで調べてみる。

適材適所・・・その人にふさわしい地位や任務につけること.
       英訳:the right man in the right place.

適者生存・・・生存競争で,適者だけが生き残ること.
       英訳:the survival of the fittest.

うは、微妙

何かこうしてみるとあんまり似てないっていうか別物だろ的な感がバンバンします。が。

適者生存て、要は「ある原理に従って競争した結果、その競争の勝者がその原理の中における適者である」っちゅーことだよね。

「ある原理」ってのは、動物界なら弱肉強食だし、マラソンのオリンピック選手の選考なら当然良いタイムを持つものから選んでいく、強いものか、早いものか、とか。そういう基準。

で。適材適所の「その人にふさわしい地位や任務」ってのが、何に基づいて判断されるのかっていうと、大体どうも内部の競争の結果、つまり「適者生存」によって判断されてる気がする。
だから二つを組み合わせると、「適者生存」によって「適者」となった者が、「適材」として「適所」に配置される。

ただ普通適材適所っていうのは、上司とかが部下にどういった人事を行うかとかそういう感じで使われるので、ここでいう「適者生存」の競争原理はその上司なりなんなりにゆだねられてるんだけどね。要は人事権を持つものの意向がここでは競争原理なわけだ。

このとき、上司とかそういった人事権を持つような人間を、「経済原理」とかに置き換えて読んでみると、社会学的には面白いことがおきたりする。

経済原理に基づいて「適者生存(経済競争)」が行われた結果、「適者(勝者)」となった者が「適材(社会的に高い地位)」となって「適所(高水準の生活)」に配置される。これは上記の原則から言うと正しい。
ってことは逆に「適者」になれなかった敗者のそれなりに低い地位も生活も、やっぱり適切なんだろうか。

「適材適所」と「適者生存」が正しいとされる限り、適切なんだろうね。でも一つ「いや、適切じゃない」と声を上げる方法がある。

競争を支える「原理」が正しくなければ、その競争自体正しくないし、結果として「適者生存」は、適者が生き残っていない可能性も出てくる。
たぶんそういう風にして「適切じゃない」と声を上げたのが社会主義なんだろう。逆に「適切だ」と答え続けたのが、近代の資本主義だったりする。というか、そもそも競争を支える「原理」の部分が正しいのか正しくないのかさえ、複雑すぎてよく分からなくなっている。よく分からないままに、「適者」とそうでないものの区別が進んでいるならば、そりゃやっぱり問題なんだろうなと思う。

「競争原理」はもちろん経済だけじゃない。他にも様々に分化された社会の中でおのおのの「競争原理」がある。そいつが生み出す「適者」とそうじゃないものそのものに目を向けるのもいいけれど、まず「競争原理」に目を向けて、それが正しいのかどうかを考えるほうが先なんじゃないだろうか。そのために大学で学んでるんじゃないのかなぁ。そのため「だけ」とは言わないけど。特に文系の方。

二つの四文字熟語からここまで発展してしまった。政治思想やってちょっとは良かったかもしれない。ん、ドイツ語?それどこの国の食べ物かな?