壊した後には瓦礫の山
珍しくゲンダイネットが面白そうな記事書いてますね。
自民党をぶっ壊すと叫んだ小泉首相。実際に自民党の体制が壊れたかどうかは別として、すくなくとも「派閥政治」の象徴たる自民党は壊れました。その結果がこの記事です。
次期首相を選ぶ総裁選は、候補者が持論をぶつけ合い、誰が総理・総裁にふさわしい人物か見極めるのが当たり前です。どこの国だって、そうやってリーダーを選んでいる。ところが、今度の総裁選は、そうした空気はゼロです。政策論争どころか、安倍晋三が政権構想を発表する前から、当確が決定している。それもこれも、国民の支持率が高い“安倍首相”なら、来年夏の参院選に有利という理由だけです。肝心の政策は二の次三の次。こんなふざけた総裁選は初めてでしょう
でもね、自民党が派閥政治を脱したあたりから、そんなの見えてた話だと思うんですけどね。そもそも、普通の選挙ってのは本来「自分が投票して自分の利益になる人」に投票します。当たり前ですよね。自分にとって都合の良い政策を打ち出してる人間に投票するのはごく当然のことです。また政策という「タテマエ」でなくても、この人に投票すると公共事業が増えて仕事がもらえそうだとか、そうした「ホンネ」の部分も含めて、選挙民は自分の利益を追求するし、それが許されるのがあるべき選挙の姿です。
ところが、これまでの総裁選はそうではなかった。誰かに投票して、それが自らの利益になるかならないのかではなく、まず「派閥の利益になるかどうか」で考えていたわけで。「派閥の利益になることが、すなわち自分の利益になることだ」という考えだった。そもそも総裁選の方が普通の選挙のあり方から随分かけ離れていただけの話。
となると、今回の派閥の垣根を越えた安部氏のリードは、そうした派閥に依拠した総裁選挙が終焉を迎えたことを如実に表しています。そしてそれは、総裁選が「普通の選挙」に戻っただけの話です。みんな派閥関係なく、「誰に投票すれば自分の利益になるのか」を考えるようになっただけ。そして国会議員にとって最大の利益とは、票です。選挙で勝てる人間を御神輿に担ぎ上げよう。それが自分の利益だ、と。
あと、上の記事だとさも今までの総裁選が随分政策論議がなされていたような内容ですが、そんなわけないでしょ。小泉さんのときはいざ知らず、あとは派閥同士のパワーゲーム。政策なんてほんの「タテマエ」です。
ただ、今の国民の大多数は記事のような現状を批判できる立場にないでしょう。なぜならこうした現状を作る遠因となった小泉さんに、去年の今頃GOサインをだしたのはほかならぬ我々国民ですよ。去年の総選挙で自民党に投票した人は、上の記事見てぎゃあぎゃあ騒ぐ資格はないのです。
だから―繰り返しになりますが―安部氏の一見すると不自然なまでの圧倒的なリードは、選挙民が自分の利益を追求するという態度を取る限り、ごくごく当たり前のことだと思います。ただ一つ我々が胸に刻むべきだと思うのは、政治家が政策議論をおざなりにしているのと同様、我々の大多数も選挙のときに政策議論なんか大して気にしちゃいないってことです。
結局自民党を「ぶっ壊した」跡には、そこらへんに落ちてるのと変わらない「瓦礫」が残っただけでしたね。