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絶倫ファクトリー

生産性が高い

一億総mixer化の果て

mixi論

今日ゼミでmixiの話題が出たとき、面白い言葉を聞いた。
mixiは会員数が多くなりすぎて、誰が見てるか分からなくなったので日記は書いてない」
誰が見てるか分からない、という言葉には一般的に考えて2つの意味がある。

1.全く知らない人間が自分を見ていることへの不安
2.知っている人間が、知られたくない情報を見てしまうことへの不安

この人がどちらの文脈で言ったのかは分からないが、少なくともその言葉はブログが隆盛になってきた頃聞かれた言葉だ。
会員数がネット総人口に近づけば近づくほど、SNSがSNSたる「閉鎖性」という価値は減少する。以前も述べたように、いまやブログとmixiのインフラ的な特徴は逆転した。知り合いだらけ足跡まみれのmixiより、検索避けタグと固有名詞の抽象化で武装した、親しい友人にしか教えていないブログの方がよっぽど被閲覧蓋然性は低く、その意味でより閉鎖的である。
ブログはアクセス解析がそこまで優秀ではないので、閲覧者を逐一特定できない。そういう点では確かに1の不安要素はあるものの、検索避けタグという「おまじない」とURLを知っている人間を極力限定することで、少なくとも1の不安は解消されたような錯覚に自らを陥れることは可能だ。固有名詞を抽象化することで2の不安も解消できる。いずれも現実的に問題が解決されたかどうかと、不安が解消されたかは別である。

逆にmixiは足跡機能のせいで、少なくとも閲覧者が知り合いかそうでないかを確実に判別できるので、1の不安は会員数が上がれば上がるほど、数理的に上昇する。それとともに2の不安も上昇する。個人の特定は、その人の入っているコミュニティ・マイミクを簡単に漁ればほとんど可能であることもそれを手伝っている。*1

まぁそんなわけでmixiはおそらく会員数が一定を超えると、少なくとも積極的にmixiを活用する人間は減ってくるのではないかという話。mixi疲れという言葉もあるし。そしてより密度の高い閉鎖性を求めて、他のSNSに流れる傾向が今後起こるだろう。
もしくは、今現在僕はそういうのを知らないが、SNS自作キットみたいのがあれば多分流行るんじゃなかろうか。感覚としては、mixiのコミュニティ機能だけを取り出したもの。管理人は招待したい人間にメールを送り、その人たちの間だけで日記の公開やなんやらをする。SNS間は完全に遮断されており、横断性はない。わざわざ検索避けタグをおくこともなく、名詞を抽象化することもなく安全にSNSとブログのおいしいところだけ味わえる。誰か作ったら儲かると思うんだが、どうだろう。

*1:もちろんコミュ・マイミクを意識的に操作すれば特定はされないかもしれない。だがそこまでやる人がmixiに閉鎖性など求めているだろうか