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何故勉強するのか?という問いに対するややメタな答え

何故勉強するのか?と聞かれて、答えは人それぞれだろうが、僕は「無駄な議論をしたくないから」と答えるようにしている。
僕はこんなブログを開いてるぐらいだから、議論したり意見を述べたりするのは好きなほうなのだが、そうしたときに常々不安に思うのが、「この世にある議論や疑問の大半は既に答えが出ているか、答えがないことが分かっているものなのではないか」ということだ。今更「あれ、もしかして地球って丸いんじゃね?」とか思って色々実験してみた結果ホントに丸そうだということが分かったとて、エウレカのエの字も言えない。んなことは誰もが知っていることだ。何をもって知っているとするのか、何をもってそれを事実として同定するのかはここでは議論しないが、とにかく、既に結論が出ている(一つに限らなくても良い)事柄について浅く未熟な議論をこねくりまわすよりは、先人達の有益な議論を先取りした方が賢いわけだ。
勉強するということは、既に出ている結論や言説を知ること、その議論の中身を知ること、そして「何が結論が出ていないのか」を知ることでもある。駐車場のどこが空いているのか知らなければ車を停められないように、どこに議論の空きがあるのか知らなければ、真のオリジナリティは発揮できないように思える。