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「あらたにす」と新聞−ネットの比較について

僕はいつも流行に二足くらい乗り遅れる。そういう性格らしい。

サービス終了のお知らせ : 新s あらたにす(日経・朝日・読売)

朝日新聞・日経新聞・読売新聞が共同で立ち上げたニュースポータルサイトである。
はてな界隈ではどうやら散々バッシングされているらしいが、個人的にはそこまで叩くものでもないと思う。同時にそこまで持ち上げるべきものでもない。
新聞の一面を読み比べるというのは、図書館にいかないとあまり機会がない。それを手軽にチェックできるのは便利なことだと思う。あらたにすに対する批判の中で、「RSSを吐いてない」というものがあるが、正直要らない。RSSを吐いて欲しければ、各新聞者のサイトに行けばRSSが取得できる。三ついっぺんに吐かれても読めるのは一つだけなので、こうしてインターフェイスのできちんと比較できるようになっているのは面白い。

あとあらたにすが依然として押し付け的なニュースの読み方しか提示していないという意見もあるが、それは仕方ない。テレビ局にしたってそうだが、一民間企業であり、企業からの広告を掲載して営業している以上、新聞記事に100%の中立と言うのはありえない。必ずどこか抜け落ちる部分、社によって差が出る部分がある。そうした差分を考慮して人々は新聞を選ぶべきであり、またインターネット上のコンテンツはそのような抜け落ちた部分、社による差を上手く補完する役目は果たしている。だが依然インターネット上のコンテンツは二次情報以上のものばかりであり、(少なくとも日本においては)一次情報への接触は職業記者の手によるところが大半である。

新聞記事が、あくまで事実の捉え方の一フレームでしかないのと同じように、インターネット上の情報もまた情報の捉え方の一フレームでしかない。一次情報に触れられない以上、我々は何らかのフレームを通してしか情報に触れることが出来ない。どういうフレームで情報を捉えるかは、選んだ新聞やネット上のコンテンツによるだろう。だがそれらのどれかが優れていてどれかが劣っているという考え方は、現状ではそう判断する材料はないと思う。

新聞とネットという対比において、ネットの優勢がはっきりしているのはコンテンツうんぬんというよりビジネスモデルの話である。インフラとしての性能は、紙をバイクで届けるよりネットで配信したほうが効率的なのは当たり前で、新聞記事にバカ高い金払って広告載せるよりは、グーグルのアドワーズ使う方が効率的な場面が多々出てくる。そしてそうした兆候は今後逆戻りする可能性はほぼゼロで、今のトレンドが将来的にさらに徹底される見込みしかない。こうした中で新聞のビジネスモデルの凋落というのは確かにその通りだと思う。しかしインフラの優劣とコンテンツの優劣を履き間違えてはいけない。確かにインターネットというインフラの特性は、コンテンツに対する評価方法を変えた。だが評価方法が増えたからといってそれまでのコンテンツの価値が下がったわけでも、またコンテンツの評価方法の価値が下がったわけでもない。選択肢は増えた。それは何かの価値が下がって何かの価値が上がったことを示すわけではない。