Google の無い世界 あるいは女の子のウェブの歴史
これまで何度ウェブの歴史が語られたのか。それは知る由もない。そして、そのなかでどれだけ女の子たちのウェブ体験が体系化され、テキストとして残されてきたのか。それはそもそもそんなことがあったのだろうか。
ブログが流行し、SEOが市民権を得てからというもの、ウェブの歴史は常にGoogleを一つの転換点として語られてきた。Facebookですら、この巨人との比較を避けることはできない。
一方で、そうしたGoogle史観的な見方からこぼれおちるウェブの系譜も存在する。濱野智史『アーキテクチャの生態系』は、日本におけるGoogleの外にある2ちゃんねるやニコニコ動画と言ったウェブサービスを体系づけた。
しかしそれでもなおウェブのタイムラインから抜ける視点がある。女の子のウェブ体験もその一つだ。「女の子ウェブ」の歴史は、ふみこみゅから始まりピグへと連なる。そこにはGoogleがなく、ガラケー(そしてauの黄金時代)がある。ブログの「デザイン」は「着せ替え」と呼ばれる。RSSリーダの代わりにクチコミがある。
それらは一つの流れに美しく整理できるものではない。テキストはおろか、Wikipediaにもその名を刻まぬことなく消えた彼女たちの住処はいくつもある。それでもいくつかの流れを辿り、系譜にすることはできる。そして同時に、彼女たちの記憶を記録に換えておく必要がある。
そんなわけで、『ねとぽよ 第2号』に女の子ウェブの系譜について書いています。
ねとぽよ第2号 サンプル | ねっとぽよくはへいわしゅぎをひょーぼーします
僕は女の子たちが使う(ってきた)ウェブサービスの系譜について分析しています。いっぽう彼女たちの体験をボトムアップ的に組み上げたコンテンツもあります。インターネットもぐもぐ が担当しています。
上のサンプルからちょっとだけその様子を知ることができます。ウェブ販売やってるので興味ある方は是非。
ブログのコメント欄になぜ聖地が生まれたのか?
最近、ブログとかソーシャルメディアとか、ましてやインターネットとか、そうしたネットにおける「大きな主語」を持った面白い文章を読んでいなかった。これはひさびさに面白いと思った。
前編となっている、
これも面白いんだけど、こちらは形態素解析を用いた観察的分析手法の話。ので、ものすごく意外な話が出てくるわけでもない。
(あと過去のメディア、それこそ昔の雑誌の読者投稿欄とかどうなってたのかなとか気になる)
で、「聖地」の方のエントリのブコメに聖地巡礼の話があったのだけれど、いわゆるカッコつきの「聖地巡礼」における「聖地」と、このエントリにおけるAKBファンたちの「聖地」はちょっと違う気がする。
聖地巡礼の聖地は、それこそ『ゴーストの条件』等を引っ張ってくれば、現実と虚構の狭間であり、現実を解釈するためのレイヤーといった色合いが強い。けれどAKBファンがブログのコメント欄に作り上げた「聖地」は、もっと動かしがたい、変わらない場所としての意味合いが強い。この「聖地」は、それこそディアスポラを強いられたユダヤ人の聖地に近い気がする。ウェブサービスが普及して、ファンが集まるコミュニティはバラバラになる。ブログ、mixi、Twitter……。公式ブログでも、エントリごとにコメントばらけるし。それでもファン同士が戻る唯一絶対の「ホーム」があると、何かこう団結できたような感覚を手に入れることができる。そんな感じな気がする。
紙の同人誌と電子書籍の同人誌の違い
『ねとぽよ』という同人誌に少し関わった。
『ねとぽよ』は冬コミであの坂口さんを全面に押し出したカードを販売したけれど、それ以降は基本的にWebサイト上での通販という形になっている。電子書籍なので普段自分が見てきた紙の同人誌とは少し事情が違う。別に内部事情を暴露するわけではないのだけれど、紙と電子書籍で同人誌を作る際に何が違うのか少し考えた。
紙の同人誌は、これは商業誌がそうである以上に、増刷がしづらい。販路をコミケや文フリといった即売会に頼っている場合、ますますその傾向が強くなる。200~300部程度の同人誌では、1冊あたりの印刷費用がそこまで下げられないため、短いスパンで増刷するわけにいかない。かといって始めに1000部刷っておいてそれをガンガン売ればいいのかと言うと、コミケや文フリ以外にも店舗への委託できっちり売れないと、在庫をさばけない。
電子書籍はその点印刷とその輸送にかかるコストを抑えられる。ところが今度は販路が問題になる。そもそも人々の間に電子書籍を買うという行為が習慣化しておらず、したがって決済システムを含めて電子書籍を自由に売り買いできるチャネルは今のところごく限られている。App Storeやそのほかの大手のプラットフォームに頼ろうとすると、それなりのマージンを持っていかれることになる。
「紙の印刷代とトレードオフみたいなもんでは?」と思う人もいるかもしれないが、印刷代はプライマリーコストであり、販路の拡大に従って基本的には最終的に下げることができる。けれど電子書籍プラットフォームのマージンは、規模を拡大しても基本的に下げられない。自分たちの努力ではどうにもできないコストであり、なるべく発生すること自体避けたいコストである。
とすると、自分たちで販路を作るしかない。そこには技術的なハードルもあるし、そもそもどこの馬の骨ともつかないサークルの作ったサイトから電子書籍を買うやつがどれだけいるのか?という信頼の問題もある。けれどこれだけコンテンツを作るコストが下がっている中で、作りたいものを作って流通させるには、そうしたハンドメイドな取り組みが必要なんだろうと思う。プラットフォームへの依存は、最終的にはどこかで「作りたいものを作る」という同人活動の基本を歪めさせる。
ここからはまだ出来ていないものに対する想像だけれど、ウェブで同人電子書籍のプラットフォームができたとしても、それは文フリやコミケといったリアルの即売会以上に「勝っているものがさらに勝つ」傾向がきっと強くなる。そうするとそのプラットフォーム内部でのメタゲームが始まり、コンテンツは「作りたいものを作る」プロダクトアウトから「そのプラットフォームで勝つ」ためのマーケットインなものになる。それは面白くない。むしろそれが問題になる程度にそのプラットフォームが拡大すれば1つの文化圏になっているはずなので、それはそれでいいのかもしれないけれど、僕自身が望む世界ではない。
ということで、そんなハンドメイドな『ねとぽよ』をぜひよろしくお願いいたします。
「団地団V 〜だんちのよあけ」感想
「団地団 〜ベランダから見渡す映画論〜」の出版記念トークイベント「団地団V 〜だんちのよあけ」に行ってきた。『ぼくらのよあけ』作者の今井哲也氏を迎えて、3時間以上に渡って団地への愛にあふれるトークが繰り広げられた。
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『ぼくらのよあけ』と団地の関係については色々と知りたいことがあったので、これは行かねばと思い駆け付けた。今井さんは後半から登場だったのだが、そもそも前半が団地妻で盛り上がりすぎて40分ほど押し、9時くらいから壇上に上がった。
しかしゲストを呼びつつもここまでゲストにはしゃべらせずひたすら周りがゲストおよびその作品への愛を朗々と語るイベントと言うのは、そうそうないのではないか。というくらいに団地団の「ぼくらのよあけ」に対する愛が伝わってきた。それほどまでに今井さんが阿佐ヶ谷住宅含めて団地についてきちんと取材をしてあの漫画を描いたということなのだろう。
以下、『ぼくらのよあけ』の話題を中心に、団地団と今井さんのやり取りで面白かったものをまとめてみた。
団地団一同:何故阿佐ヶ谷住宅なのか
今井:最初は団地を舞台にするつもりではなかった。宇宙船のパーツが各地に散らばっており、それを集めて回る話だった。
もともと「明るい未来を描いた作品が最近ない」というところから始まっているので、レトロフューチャーを描こうという話だった。なんで団地になったのかは……覚えてない。速水:阿佐ヶ谷住宅はなぜ2038年に残っているのか
今井:『ぼくらのよあけ』はかなりドラえもんを意識していた。ドラえもんは今と変わらない日常の風景の中で、ドラえもん自身や未来の道具が自然に受けいれられている。ぼくらのよあけも、リアルな2038年を描きつつ、いくつか明らかに説明のつかないものを描いている。オートボットはそれ。そして阿佐ヶ谷住宅も、同じように説明のつかないもののひとつ。なんで2038年に残っているのか、僕にも分からない。大山:団地に描写が素晴らしい!
今井:あれ、実は3DCG。連載なのでどうやって団地を書き続けるかが課題だった。ロケハンにCGチームの人も一緒に行って、写真からCGを起こしてもらった。ちなみに人工衛星も3DCGだけど、これはなぜかイニシャルDの監督が描いてくれた。大山:団地団本で章ごとの扉絵を描いてもらったが、なぜ第三章の扉絵は都営矢川北アパートなのか?良い団地だけどマイナー過ぎるでしょ!
今井:別の団地に行こうとしていて、たまたま電車を降り過ごしてしまい、降りた駅が都営矢川北アパートの最寄り駅だった。反対側の電車に乗ろうとしたら、駅から団地が見えたので、寄ってみたらすごくおもしろい団地だった。都営矢川北アパートは阿佐ヶ谷住宅についで舞台の候補地だった。
他にも今井さんが「団地もキャラクターの1つ」と名言感あふれるセリフを残したりと、『ぼくらのよあけ』ファンにはたまらないイベントだったと思う。
あと大山さんが「阿佐ヶ谷住宅含めて、多くの団地は地理的に不利な場所に立っており、その地理的制約に必要な機能を詰め込んだので一見すると不可思議な形態になることがある」といった趣旨の話をしており、面白いと思った。大山さんはおそらくこうした機能が形態を決定するというか、ほぼ機能がそのまま露わになったような形態が好きなんだろう。「公団の団地は好きだけど同潤会アパートは好きじゃない」みたいな心境はそういう話を聞くとああなるほどと思う。センス闘争の行きつく果て、みたいな気もするけれど、その道を極めていて非常に面白かった。
またこのイベントの数日前に阿佐ヶ谷住宅に行ってみたのだが、不思議な空間だった。住宅街の中にごく自然に溶け込んでおり、どこが境目なのか分かりづらいかたちになっている。建て替え計画が進んでおり半分廃墟のように見えるのがその不思議さの一因ではあるのだけど、一番の原因はあの緑の多さだろう。当時緑が何もなかったので住民が頑張って緑化運動をしたらしいのだが、それらがきちんと管理されかつ年月がたって鳥や風で運ばれてきた植物も一緒に生い茂り、かなり周りとは違う環境が出来上がっている。あの過剰なまでの緑とテラスハウスの雰囲気が混じって、独特の空間を作っているように思う。
「偶然」は「必然」に勝てるのか? Facebook vs Google
クーリエ・ジャポンの3月号に「Faceobook vs Google 「ウェブの未来」を賭けた戦いが始まった」という論考が載っていた。元はアメリカのフォーチュン紙の記事。
COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2012年 03月号 [雑誌]
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Googleは昨年7月、ソーシャルの土俵でGoogle+という武器を引っ提げてFacebookに宣戦布告した。そのことを主にビジネス周りのトピックを中心に書いている。GoogleはWebの中心に鎮座してきたが、FacebookのようなGoogleのクローラーが届かない領域が拡大するとビジネスに支障が出る。人々が情報を得る過程でFacebookおよびそれと連携したWebサービスを使うようになれば、Googleを「中抜き」する可能性が出てくる。そしてFacebookの規模は今や看過できない規模にまで膨れ上がってしまった。かくてGoogleは元Appleのポール・アダムスを使ってGoogle+を設計し、ソーシャルの世界に三度参入した……というお話。
この記事は、最近発表されたGoogle+と検索の密接な結合をきちんと予測している。また今後GoogleがAndroid端末にGoogle+をより直接的な形で統合することも予測している。これはフォーチュン誌以外でも耳にする予測で、僕も十分ありうると思っている。というかそのくらいしか勝ち目はないのでは、と思っている。
記事ではGoogleがかなりの勢いで追い上げているぜ!という論調になっているが、そもそもFacebookが本当にGoogleを脅かす存在なのだろうか。長期的なスパンはさておき、今現在の話をすると、そうでもないのではないか。
Googleのビジネス上の強さは、検索という行動とお金の結びつきやすさにある。検索は「これが欲しい」「これが気になっている」という意志を顕在化させる。すでにある意志や意欲を上手く「刈り取り」、広告主の元へ誘導することで、広告主にとっても有益なユーザー=顧客を引き合わせている。Googleの収益源は、ほとんどがこの検索連動型広告だ。
一方のFacebookもメインは広告事業だ。だがFacebookの広告は基本的に属性ターゲティング型の広告であり、広告主は狙いたいユーザーの属性を細かく指定して打つタイプのものだ。だがこれは検索のように顕在化した意志を刈り取るタイプのものではなく、「刺さる」可能性は必ずしも高くない。ここはまだFacebookの課題であり、逆に伸びしろのある部分だろう。
確かにFacebookは伸びているが、その収益スキームはGoogleの検索連動型広告ほど高効率ではない。そしてソーシャルグラフをベースにした広告はなかなか難しい。昨年行われた開発者向けイベント「f8」でザッカーバーグはしきりに「セレンディピティ」を強調したが、彼のいうソーシャルグラフを通じた偶然の発見は、Googleの検索連動型広告にある「必然を装う」という行為から最も遠い。検索連動型広告は、それが広告であるにも関わらず、ある種の必然をユーザーに対して装うことができる。しかし偶然の発見は、広告主の意図によってもたらされるものではない。広告としては、効率が悪すぎる。
そんなわけで、収益を支える要の部分はまだFacebookは弱く、Googleに軍配が上がる。
では過去も含めて、もっと長期的なスパンでGoogleとFacebookを比較した時には?
という話を「ねとぽよ」という同人誌で書いています。サンプルがこちらから見れるので是非。
Facebookは「Webのダッシュボード」になるか
OpenGraphのスタート
FacebookのOpenGraph戦略が発表されてしばらくたったが、先日ついに対応アプリがローンチされた。中には「Pinterest」など、今話題のWebサービスも含まれている。
Facebook「Open Graph」開始、タイムラインアプリによるソーシャルエクスペリエンス革命 【増田(@maskin)真樹】 : TechWave
Facebookにログインしたまま、Facebookの外にあるWebサービスを使うと、そのことがFacebook側に通知される。それは単に「いいねといっています」レベルではない。何をしているのか、例えばPinterestでどんなボードをフォローしたのか、など。
こうしてOpenGraph対応のWebサービスが普及すると、何が起きるのだろう。1つはFacebookの内と外の境界が薄れていく。それはFacebookを見ていれば、Webで起きていることが「すべて」分かる。すべて、にカッコをつけたのは当然自分と繋がりがある人のアクションしかFacebook上では共有できないからなのだが、それがWebの「すべて」になる日が来るかもしれない、ということだ。Facebookの行きつく先は、「Webのダッシュボード」かもしれない。
ねとぽよ宣伝タイム
ということで、FacebookをGoogle+と比較した「Google vs Facebook〜<近代化>するWebと半透明な未来」を同人誌『ねとぽよ』に書いています。
[連載企画]ねとぽよたちへの7の質問〜@klov(Google vs facebook記事担当)編 - ねとぽよ
「世界の近代化には情報の整理・分類というプロセスが大きく関わっていて、Googleも同じやり方でWebを近代化させたよね。でもリアルの世界の近代化が途中で方向性が変わったように、Webの近代化も同じようにまっすぐにはいかないかもね。Facebookはその証左の1つかもね」というお話です。プロのデザイナーの手によって作られた美しいデザインの電子書籍。Webから買えるので、ぜひよろしくお願いします。