何故男女で会話がかみ合わないのか
まずはテキストの引用から。
W(女)が胸に手術の跡が残ったために胸の形も悪くなり、憂鬱だとH(男)に訴えた後の会話
H:傷を隠してもとの形にするような整形手術すれば?
W:これ以上手術する気はないわよ!胸の形が変で悪かったわね!
H:別に僕はなんとも思ってないよ。
W:じゃあ何で整形手術しろなんていうの?
H:だって自分で自分の胸の形が嫌だって言ったんじゃないか。(Tannen,Deborah.1990.You just don't understand)
とある夫婦の会話なんですが、見れば分かるとおり全然かみ合ってません。女の方は、手術のせいで胸に傷が出来たと。形も悪くなってすごい憂鬱!と男に訴えたんですが、男の方は同情するふりもなく、解決方法を提示。本当は女は「そうか、かわいそうに」と共感を得て欲しかったんでしょうけど、男はただ単に解決策を示しただけ。
こうした、女性の共感を得て欲しいとする会話の構造を「Rapport talk」、男性の知識を提示したりして会話の主導権を握ろうとするヒエラルキー的な会話の構造を「Report talk」というらしいです。
確かに女性の会話に単純に解決策を示すと、優しくないとか言われたり、男性は男性で結構そうした知識の提示で会話の主導権握りたがりますよね。この差を、上に示したTannen,Deborahは、文化の差って言ったんですけどねぇ・・・
上記の会話における「かみ合わなさ」を説明するのに、単なる男女の文化の差という水平的な切り口でいいのか?
僕は文化の差という答えは、半分正解だと思います。ではもう半分は何か?以下その簡単な説明です。
Rapport talkにおいて、女性は実際の発話の裏に「共感してほしい」というメッセージを隠しこむ。こうした一種の「コード」の読み取り要請を、女性は会話の時に発しているということだ。
上記のHとWの会話に見られたように、Report talk とRapport talkでかみ合わない場合、それは一つにこの女性のコードがきちんと認識されてないことが原因でないか。だとするならば、そこには2つのパターンが考えられる。
1. (女)コードの読み取り要請→(男)不認識
2. (女)コードの読み取り要請→(男)認識→(男)拒否
「文化の差」として扱えるのは、1の方だろう。こうしたコードの読み取り要請をされてこなかった、もしくはそうした要請が恒常的に認識される環境にいなかった男性は、その要請自体に気づかないことがある。これは男性がどのような会話文化の中に置かれていたかという差異で説明できる。
ところが2の方は、文化ではない。きちんと女性のコード読み取り要請を認識しておきながら、それを拒否している。もしも男性のreport talkが、会話の中において知識の提示等によって主導権を握ろうとするヒエラルキー的な構造であったなら、2はまさに会話をその構造に持ち込もうとする「権力の行使」が働いている。
ここで会話の中に明確なズレが生じるのは、女性のコード読み取り要請が、まず言葉を発して相手の対応を待たざるをえない「要請」の性質を持っているのに対し、男性の場合は必ずしもそうした先制攻撃的な要素を含む必要はなく、相手の出方を伺いながら会話を進める戦略性を持つからだ。つまり「要請」であるがゆえに先出しジャンケンに持ち込む必要がある女性と、それを後出しで迎え撃つことのできる男性と、会話の主たる構造の差が存在するからである。そしてそれは後出しであるがゆえに、男性の方が一見「ずるく」見える。
だがもしこの会話のかみ合わなさという問題に、「どちらが悪いのか」という軍配を上げねばならないとしたら、僕はどちらも悪くはないと考える。男性の立場から見れば、女性のいわゆる「コード読み取りゲーム」に参加する必然性は特にない。ただ逆に不参加を表明したときに、それが同時に男性の「ヒエラルキーゲーム」へと女性を巻き込む強制的な構造、つまり自分の会話に持ち込もうという権力を行使できる構造になっているのは、構造的な問題とはいえ女性からしてみればやはり「ずるい」のだろう。
解決策としては、まず最初に男性が女性のコード読み取り要請を認識し、それに応えた上で、その後自分の知識を提示するなりして「ヒエラルキーゲーム」に持っていく。女性男性両方の構造を会話の中に組み込めるようプランニングすればいい。
ところで、根本的な問題としてなぜこうした男女間で構造的な差ができるのか。それはただ単に会話を分析して「文化の差」だけで解決できる問題ではないだろう。ジェンダーではなくセックスとしての差かもしれないし、男性が歴史的に社会組織の中心であったことの差かもしれない。たとえ構造的な差が文化の差であったとしても、上で示されたような会話のかみ合わなさは、そうした文化の差を利用した男性の権力行使があると考えて不思議ではないと思う。