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「経済性」がやっぱり残す一抹の不安(下)

(上)はこちら。
「経済性」がやっぱり残す一抹の不安(上) - No Hedge!

で、改めて先日の議論に僕なりの立場、というか予想される反論を書かせていただくと。
経済性に経済性で応答する、その結果システムが生活世界を侵食するが、それはそれで仕方ない、慣れろ、という議論は、基本的に賛同できるが、一方でやっぱり一抹の不安感もある。何点か挙げておく。

・「得」のインセンティブの不安定性
経済性と言っても、何が「得」で何がそうでないのかは当事者によって異なるし、当事者が増えれば増えるほど利害関係もまた増える。ただこれはここでの議論に限らず政治でも経済でも話しつくされたことだし、sak氏は既存の貨幣価値体系以外の価値体系を導入すべきだとも言っているので、あまり有効な指摘ではないかもしれない。

・「得」のインセンティブの過剰強度
これは上の逆。というのも実際上の議論だと僕は経済性の有効性は認めているので、不安定性はどうにかなるんじゃないかと楽観視している。だが逆に経済性の「こっちの方がお得だよ」というのは実はあまりにも説得力がありすぎて、それ以外の可能性を全部ぶっ潰してしまうんじゃないかという懸念もある。sak氏はコメント欄で

例えば「武装は国益にかなう」という論に「国益より人命が貴い」などと言っても説得できるわけがなく、「非武装の方が国益にかなう」ということを平和主義者は立論すべきなのだと思うのです。

と述べていたが、逆にうっかり武装論者に「武装は国益にかなう」ことを証明されてしまった場合、平和論者の立場は100%なくなるわけで。同様に「『環境を守った方がお得』『戦争をしない方がお得』」がうっかり「環境を守らないほうがお得」「戦争をしたほうがお得」な方に証明されてしまうと、そのインセンティブの強さゆえにもう歯止めが利かない方向に行きかねない気がする。もちろんここまで極端な話はないだろうけど、要は「得」のインセンティブはその強さゆえに一度走り出したら方向転換効かないんじゃない?ということ。
モラルについても、sak氏は

「経済性」(あるいはSuzuTamakiくんのいう「合理主義」)にルールが一本化されてくれた方が、「モラル」というよく分からないルールを振りかざされるより、僕は安心できる。

僕も個人的には大変同意できるのだが、一方でモラル信奉者の方々はこう返答してくるかもしれない。良く分からないからこそ、色んなところで色んなモラルが散らばっているからこそ、人間の多様性が保持できるのだと。「経済性」に一本化されたら、それにそぐわない人間、乗りたくても乗れない人間は全て排除されてしまう、と。

こうした不安はもちろん「経済性」や「システム」といった言葉を一義的に考えすぎており、それ自体が持つ多様性を無視しているというのは分かっている。ただそれでも我々がこの先「経済性には経済性を」と声を上げるのに際し、乗り越えるべき壁だとも思う。