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リンクとかあれこれ

なんだか最近とみに「無断リンク」なるものについての言説が飛び交っている。一方でヒステリックにソーシャルブックマーク無断リンク推奨だと批難し、他方ではそもそもリンクはウェブシステムの本質だという話がある。
僕はそもそも「無断リンク」という言葉そのものが形容矛盾だと考えていて、なぜリンクを張るのに許可がいるのか分からない。リンクされるよりもされないことの方が多くの問題をはらんでいる。例えばとあるブログで話されていることについて言及したいと思った時、元記事に対するリンクがないとそれは論文で言えば注釈なしに引用するみたいなもんで、立派な剽窃だ。無断リンクなんか比較にならないほどでかい罪である。World Wide Webの中で発言をするということを、Publishだと考えれば(考えるべきだ)、当然これはやってはならないことだ。
ソーシャルブックマークで変なコメント付けられて困ってるんですけど!って人は、往々にしてそのエントリがそうしたコメント付けられるだけのエントリであることが多い。ちなみにソーシャルブックマークの有用性についてはもう言うまでもないし、僕もここで書いたのでもういいだろう。メディアの「分量」 - No Hedge!
そもそもインターネットの世界は、(パスワード付のページやSNSを除けば)URLを打ち込めば誰でも見れるのであって、そのページがオンライン上に存在した時点から「被閲覧可能性」を平等に持っている。リンクはそれを「被閲覧蓋然性」に変えるのであって、逆に言えばそれだけのことしかしてくれない無断リンク禁止!派の方の中には、この「被閲覧蓋然性」を生み出すのがすでに大きな「被閲覧蓋然性」を持っているサイトなりブログなりに握られているという、一種の非対称性が生む暴力作用が気に食わない方もいるかもしれない。ところがソーシャルブックマークはそうした非対称性−どのページに「被閲覧蓋然性」を与えるかの決定権が、特定のページに偏っている事態−を防ぎうる手段だったのであり、この時点で無断リンク禁止派は決定的な分裂を迎えねばならない。ソーシャルブックマーク禁止派と、非対称性による暴力いやーん派の二つだ。
ソーシャルブックマーク禁止派については、そもそもソーシャルブックマークされようがされまいがそこにコメントされているようなことは見た人が心の中で思ったことなのであって。それが見えるのか見えないのかという話。自分のうわさが聞こえないのか聞こえるのかの違いであって、うわさされてること事態は事実。大体その程度の違いでソーシャルブックマークの有用性をつぶすのはあまりにばかばかしい。
で、非対称性による暴力反対派な人。要は自分がひっそり書いてた日記がある日某巨大掲示板や大手サイトにリンクされて人がどばどば乗り込んできてあらされたりしてさぁ大変。ってことなんでしょうが、これはリンクが悪いんじゃなくて荒らす人間が悪いんじゃなかろうか。もちろんリンク元で荒らしを推奨してたら別だけど。リンクはあくまで人をリンク先まで運ぶことしかしない。ちなみにとあるブログで「無断でリンクを張ってもいい法的根拠はない」と書いてあったが、同様に「無断でリンクを張っちゃいけない法的根拠はない」つまりどういうことかというと、リンクそのものが良い悪いの評価対象になるのではなく、あくまでそれはシステムの一部でしかなく、それがもたらす帰結についての評価が軸になるべきだということ。
最後にひとつ。無断リンクが嫌な方々ははてなでもなくブロガーでもなく、まず最初にGoogleをはじめとする検索サイトに文句を言うべきだ。彼らこそ最も最初に「被閲覧可能性」を蓋然性に変える「門」なのだから。