絶倫ファクトリー

生産性が高い

「昭和33年」

昭和33年 (ちくま新書)

昭和33年 (ちくま新書)

Always 三丁目の夕日」等、昭和30年代を美化したようなノスタルジーブームに異を唱える本。「あの頃は決してよくなかったし、今は決して悪くないのだ」(表紙より)


その言葉通り、経済、文化、スポーツなどの分野ごとに現在との比較が出てくる。殺人事件や少年犯罪は昔の方がひどかったし、格差社会は今よりずっとボトムが低く、部屋が狭すぎて就寝中に乳児が寝返りうった家族に潰されて殺されるという事件まで起きるほど。政治は今より混沌としており、役人の不正はひどい。交通は渋滞が激しく、交通事故が激増していた。騒音もそれが問題視されてすらいなかったから野放し。台湾海峡は一触即発。韓国との関係も最悪。女性の権利?ないない。ようやく赤線(売春地域)が廃止されたのがこの昭和33年なのだし。学生は学生でこのころから既に受験戦争に巻き込まれ、受験を苦に自殺する若者がダントツに多かった。


と、まぁ並べたらキリがないのだけれど、要するにちっとも「昔は良かった」なんてことは無かったですよと。ノスタルジジイに辟易している方には是非お勧めの本だ。


ただいくつか問題点もある。第一章に出てくる「日本は島国で湿気が多く、天候が変わりやすいから未来に対して心配性」とか、「スペイン人は楽天的」とか、「ヨーロッパは平原が多いからチャレンジ精神が旺盛」と言った記述は信頼性にかける。これでは「昔は良かった」論に負けず劣らず、というか「日本人は農耕民族だからどうのこうの」と言うトンデモ科学と変わらない。「昔は良かった」と過去を美化するのは何も日本人に特有な性質ではない。以前エントリに載せたパットナムの「孤独なボウリング」の序章を読めば、アメリカ人がいかに過去のコミュニティを懐かしがりノスタルジックになっているかが良く分かる。しかも統計的に。


あと「昔は良かった→けど今はダメだ」論に対抗するために「昔は悪かった→でも今は良い」メソッドを使うはいいのだけれど、どうも「でも今は良い」の『良い』がハード面に限られてしまっている気がする。今の方が「良い」とされているのが、経済や道路・鉄道、住宅環境といったインフラ面の良さが強調されており、その「良い今」の中で生きる人々、特に若者はちょっと甘いんじゃないの、みたいな構図がたまに透けて見える。「昔は悪かった→でも今は良い→だから今を生きる人々はむしろ甘やかされてない?→昔はもっと辛かったんだぜ?」とかやりだすと、結局行き着く先はノスタルジジイが持つ出すいつもの俗流若者批判になってしまう。
著者もそのことに気付いているのか知らないが、最終章ではむやみやたらと今の若者を擁護している。まぁ確かに考えてみれば筆者の世代(団塊の世代)が今の若者が生きる社会を作ったのであり、彼らを批判することは自分達が頑張って作った社会を批判することになるのだから、避けたいのかもしれないが。


とりあえず何でも美化しておく「昔は良かった」論にはおそらく十分反論しうる本だろう。だが中身が若干ハード面の比較に偏っている気がするため、「昔は人のつながりが温かく…」とかいう典型的コミュニタリアンみたいな話を持ち出されると弱いかもしれない。後は、何故人々がこうしたノスタルジーに走るのか、そしてそのことが社会的にどのような意味を持つのかを詳しく紐解いていく必要があるだろう。やってみると面白そうな分野である。