絶倫ファクトリー

生産性が高い

幸福な消費/不幸な消費:速水健朗『都市と消費とディズニーの夢』と新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』

幸福な消費:速水健朗『都市と消費とディズニーの夢』

ショッピングモールと都市が、消費を通じて接近していく様子を描き出した本。特にウォルト・ディズニーが晩年ショッピングモールを熱心に研究していたという事実は、本書のハイライトの一つだ。

モータリゼーションを下敷きにモールが発展したアメリカと、鉄道を中心に発展していった日本は事情が異なるが、たまプラーザや代官山など国内の取り組みにも触れている。

都市という公共的な存在が、経済上の要請によって「テナント業」化していく様子を、ショッピングモーライゼーションと著者は呼んでいる。この概念がやや曖昧というか、本書に散らばる様々なトピックが必ずしもこれに結びつくようには記述されていない(これは書き手の概念構造より、編集の問題な気がする)。

おそらくショッピングモーライゼーションの概念で重要なのは、アメリカのモールで70年代以降に起きた、単なる消費財売り場から時間消費型施設への転換だ。これにより、ライフスタイルや歴史的経緯といったアメリカ固有の要素から離れ、ショッピングモール化という現象はより普遍性を獲得した。時間という変数は万国共通で、場所にひも付いた時間をお金に変えられる・変えなければいけないという事情も、高度資本主義においては共通だからだ。

最終章に、一見ショッピングモールとは関係ないテレビ局による不動産事業の話が盛り込まれているのもそういうことだ。時間消費型の施設において、必要なのは優れたアパレルメーカーではなく、優れたコンテンツだ。ショッピングモーライゼーションが、ある場所の上に流れる時間を換金するような思想だとすると、替えの利かないユニークなコンテンツは重要だ。場所にコンテンツをひもづけることで、人々をその場所に呼び出すための要因となる。

時間消費型施設への以降は、本書の意図する通り、まちづくりの場所でも重要になるだろう。これからショッピングモーライゼーションを企む地域にとって、重要な示唆となる。

もちろん本書で描かれているのは、かつて「新自由主義」という言葉で非難された事態でもある。だが著者は肯定的なスタンスで現状を描き出す。そこには人々が「幸せな消費」に囲まれていく様子がある。

不幸な消費:新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

一方これより少し早くに出た『商店街はなぜ滅びるのか』は、日本人の「不幸な消費」を描いた本である。戦間期に生まれた離農者=都市流入者は、行く先々で露天商に近い零細小売業者となるのだが、その質の低さが社会問題化した。それを解決するため、それぞれが専門性を持ち、かつひとつの場所に固まることで「横の百貨店」として活路を見出すことになった。それは単に零細小売業者の保護以上に、地域社会と結びついた一種のコミュニティを志向していた。だがその後太平洋戦争が激化し、商店街は地域に配給物を届ける流通インフラとして強烈な規制を受けた。商店の免許制・距離制限などはこの時の影響による。

さらに戦後は自民党政権の票田と化し、百貨店・スーパーマーケット・ショッピングモールが規制対象となる一方、商店街は保護されていく。中小小売業者の保護は、製造業の生産性の工場=低賃金・少人数で高付加価値のモノを作れるようになるという国家方針と実は相反していたのだが、奇跡的な高度経済成長がそうした矛盾をすべて押し流してしまった。こうして保護政策の歪みは戦後しばらく放置されたまま、保護だけが進むという事態に発展する。

つまり、質と値段の伴わない財を買わされていた消費者は、こうした国策のツケを払わされていたことになる。このツケは保守化した中小小売業者と増大するサラリーマン層の対立によって顕在化し、オイルショックによって一気に弾けることとなる。本書にダイエー創業者・中内功の言葉が引用されている。彼はこれまで消費者はモノをそれを作った側の言い値=製造業のコストがあって、次に値段が決まって行く、小売業はそれを横流しするだけだと批判し、た。それは規制と偶然によって生まれた、「不幸な消費」の姿である。

長期的に見れば、ショッピングモーライゼーションの流れはしばらく続くだろう。ある場所に流れる時間をお金に変えるという発想は、まちづくりだけでなく、観光といった場所と結びついた概念と相性が良い。近年台湾が観光客を増やしているが、国際都市間競争の流れの中で、ショッピングモーライゼーションはさまざまなところに忍び込んでいくだろう。

ダークナイト・ライジングを見た。

『ダークナイト ライジング』町山氏 公開直後ネタバレ用心ツイート

 

ここで書かれていることでだいたい事足りる感想だった。

娯楽映画としては楽しめるけど、ノーラン×バットマンでわざわざやらんでも。インセプションに続くノーラン最新作、またはダークナイトの続編! と期待して見に行くとがっかりする。あと100回くらい言ってるけど、アン・ハサウェイキャットウーマンが素晴らしかった。もうこれに尽きる。

 

ちなみに上記リンクに英ガーディアン紙の評として「億万長者バットマンが反資本主義運動を暴力で潰し、富裕層のトリクルダウンを推奨」というのが載っているけれど、それは違うと思った。確かに劇中でベインは囚人を解放して、ゴッサムを警察や政府から市民の手に取り戻すと標榜する。けれどその結果訪れるのは、自由ではなく、別の規範だ。相互監視による、不信を元手にしたコミュニティが現れるに過ぎない。

 

ベインはかなわぬ希望を見せることが最大の絶望を生み出すことを知っている。これも格差社会の議論でよく出る論点だ。富裕層と貧困層が経済的・社会的・物理的に分断され、けれどメディアを通じて、消費社会における理想のライフスタイルだけは共有される。夢だけは平等に見させられる。

 

決して手に入らぬ自由と平等を掲げる解放者は、別の規範を持ち込む扇動者に過ぎない。諦めと不信に基づいた規範。

 

ただノーランのバットマンシリーズを、現代アメリカ社会の描写として読むのがいいのかはよく分からない。というかそうも読めるんだろうけど、別にもっと面白いポイントはあるはずで、それって何なんだろう、そもそもノーランの映画の面白さってなんだっけと考え始めたらよくわからなくなったので昨日はそのまま寝た。

頓知.の新サービス「tab」を使ってみた

頓知.の新サービス「tab」のβユーザー招待状が来たので、使ってみた。

http://tab.do/

 

tumblr と Pinterest の間、といった感じのサービスだった。

 

【機能】

気に行った画像を、「tab」と呼ばれるユーザーが作ったトピックページにクリップしていく。tabは全ユーザーに解放されているわけではなく、作成したユーザーに紐づく。Pinterest でいうところの「Board」である。自分の作ったtabは、他のユーザーからフォローされる。また他のユーザーのtabにある画像を自分のtabに入れることも可能。Pinterest との違いは、画像の引用元ページの情報やユーザーによるコメントもそれなりに目立たせている点。

 

メインのページは、自分がフォローしているtab・新着・おすすめ・人気の4種類のストリームを切り替えられる。

 

【メイン】

 f:id:klov:20120621224404p:plain

 

【tab】

 f:id:klov:20120621224452p:plain

 

【個別post】 

f:id:klov:20120621224516p:plain

 

【ユーザーページ】 

f:id:klov:20120621224526p:plain

 

今のところ「おすすめ」「人気」にはフード・雑貨系のおしゃれ系な画像が多かった。Pinteret の情報量をやや多めにしたバージョン、といったところだろうか。ただテキストオンリーのものはそもそも投稿できない。

 

写真とその他のテキスト情報を見せるのは上手いなと感じた。個別post ページのデザインは良くできていると思う。ただ個人的には、テキストがかぶされたサムネイルがグリッド上に並ぶデザインが苦手。ごちゃっとしてる印象を持ってしまう。ただデザイン的になんらか統一感のあるものがならんでいればそうでもないかもしれない。MTGのカードとか並んでると面白いかも。 

Gunosy がすごい

昨日のエントリーで「自分に必要な情報を選ぶためのフィルターは淘汰される」という話を書いた。『閉じこもるインターネット』の著者は、メディアがユーザーの望むものだけを与えることで、衆愚的なコンテンツばかりになることを危惧していた。それ自体はすでに起きている事態だ。問題はそうした衆愚的なフィルター、つまり「みんなが見たがるものを私も見たい」という欲望に応えることのできるコンテンツと言うのは、そんなに種類として多くない。ほぼパターンが決まっているのである。フィルターを非常に作りやすい。そのため飽きられる速度もそれなりに速い。フィルター自身が淘汰されると書いたのは、そういうことだ。 

 

最近、面白い「フィルター」を見つけた。「Gunosy」というサービスだ。TwitterFacebookのアカウントを使ってサインアップすると、アルゴリズムを使って自分にあったニュースを探して配信してくれる。こう書くと「はてなブックマーク マイホットエントリー」や「Crowsnest」と似たようなサービスに聞こえる。全然違う。これらのサービスが基本的にTwitterFacebook上のソーシャルグラフ上で話題になっている記事を抽出するのに対し、GunosyはTwitterFacebookをユーザーの趣向を判定するのに使うだけだ。記事のレコメンドはユーザーの趣向に基づくので、ソーシャルメディア上で話題になっているものが必ずしも配信されるわけではない。 

ソーシャルグラフを元に記事をレコメンドするサービスは、ソーシャルグラフが広がれば広がるほど、そこで流通するコンテンツが衆愚化しがちという問題を抱えている。

参考:

http://naoya.hatenablog.com/entry/2011/11/22/234059

たとえその母体となるグラフが自分が選んだ人であっても、その選んだ人たちを増やせば増やすほど、それが衆愚化してくのは避けられない

  • つまり、はてなブックマークにおける Social Graph を太らせれば太らせるほどマイブックマークの価値は下がっていく

  

その点、Gunosy は自分のアクティビティをベースに記事がレコメンドされるので、自分がある程度自分の好みに自覚的な行動を取っていさえすれば、こうした事態を避けることができる。 

設計思想などは以下のインタビューが詳しい。

[インタビュー]情報の新しい流れをつくりたい–東大のエンジニア集団が立ち上げた次世代マガジンサービスGunosy | Startup Dating [スタートアップ・デイティング] 

そして実際使ってみると、精度が高い。自分のアクティビティを元にしたレコメンドなので精度といっても自分が良いと思うかどうかの話だが、「お、これいいな」と思うものをレコメンドしてくれる。 

 

特に面白かったのは、この記事をレコメンドしてくれた時のこと。

ブックオフオンライン、検索広告廃し利益10倍に、商品値下げで購入率増 - 通販新聞

この記事をお勧めしてくれたのは6月12日の朝だったのだが、その時点ではてブは10~20程度しかついていなかった。その後300以上にまで伸びていることを考えると、わりと早い段階と言える。 

もちろん先にはてブできたからGunosy すごいという話ではない。6月12日の朝というのは、WWDCのイベントで僕のタイムラインは持ちきりだった。タイムラインに流れる記事はほとんどが新MBPやiOS6の話だった。少なくとも同じタイミングで届いたはてなブックマークの「マイホットエントリー」メールには、WWDC関連以外の記事がたった1つしかなかった。ソーシャルグラフをベースにしたレコメンドでは、こうした事態を回避できない。

 

ということでまとめると、

Gunosy すごい。

 ・結構「これは」と思う記事をお勧めしてくれる。

ソーシャルグラフを単に数に還元しただけのレコメンドシステムは微妙。

 ・はてブのお気に入り機能で十分。

 ・naoyaさんはてなに戻ってこないかなー

・フィルターバブルというけれど、フィルター自身をこうしてユーザーが選ぶことが可能。フィルターは淘汰される。

 ・もちろんその淘汰の中で選ばれるフィルターがなおどうしょうもないものだったりすることはあるかもしれないけど。

『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』

 

未読だったので読んだ。「グーグル・パーソナライズ・民主主義」というサブタイトルでほぼどういう本だか見当が付きそうだが、その検討は外れていない。

 

インターネットではユーザーとサービスの間でフィードバックループが起きやすい。ユーザーの行動が定量的に観察できるため、サービスはユーザーの行動に合わせて機能を変えたりサービスを提供したりする。これが人間の認知に影響を与える、つまり視界を覆うフィルターとして機能し、多様性が失われるのではないか、という話。筆者はこれを「フィルターバブル」と呼ぶ。ユーザーはフィルターの泡の中で、公共性に触れることなく過ごしてしまうと言うわけだ。

 

問題意識としてはサンスティーンの『インターネットは民主主義の敵か』やレッシグ『CODE』、その他プライバシーとインターネット関連の諸問題もろもろを引いてきており、とくに目新しいものはない。むしろユーザーとサービスの間にあるフィードバックループにはさまざまな種類があるのに、十把一絡げにして「フィルターバブル」などという比喩でまとめてしまっているため、個々の議論としては頷ける部分もあるのに、総論としては首をかしげるざるをえない。フィルターといっても、ユーザーの行動履歴を分析し、最適な情報をレコメンドするものと、多数のユーザーを大衆として定量的に扱い、衆愚的にコンテンツを与えるもの、これらは根本的に異なる。

前者は基本的にユーザーの利便性を高めるものであり、ありうるリスクとしては個人情報の横流しやユーザーの利益に反するようなマーケティング(同じECサイトで同じモノを買ったユーザー同士で、パーソナライズの結果値段が違う、とか)がある。これらは基本的にフィルターとしての問題と言うよりは、副次的に発生する問題で、個別撃破で解決していくしかないし、解決可能である。

後者はそもそもパーソナライズですらなく、ユーザーが受動的に情報を受け取る態度が原因であり、テレビや新聞でも同様の問題はある。著者はそれでもテレビや新聞と言った報道機関は何を報道すべきか基準を持ってコンテンツを作っているのであり、無いよりマシであるといった論調を張る。が、問題は受け手の話であり、ではテレビや新聞の報道を受動的に受け取る時間がインターネットの衆愚的なコンテンツを受け取る時間に変わったとして、受け手の行動は何がどう変わったのだろうか。もちろんそうした比較は本書にはない。あるのは理想化された「市民」像だ。

本書はこうした2つのフィードバックループの話を「フィルターバブル」という比喩を使って無理やり突破しようとしている。確かにパワフルではあるが、ちょっと雑。

 

ただ面白いのはこの本がそれなりに広範囲な読者に売れてそうなところである。パーソナライズによる問題は2000年以前からすでに具体的な問題を伴って語られてきたが、インターネット業界に携わるものやアカデミックに近い界隈で語られてきた。Amazonやブクログのレビューを見ると、そうした議論に触れてきた人しか読んでない、というよりむしろこうした議論に初めて触れる、という人もそれなりにいそうで、何か潮目が変わりつつあるのかなとも思う。

 

【追記】他にも色々とこの本は難があって、技術決定論を批判しておきながら自分の語り口がずいぶんと技術決定論的になるという古典的なミスをやっていたり、あとフィルターによって人間の学習行動が阻害されることを懸念しているんだけど、それって結局要は人間の学習行動の力を著者自身が過小評価しているんじゃないかという話とか。多分本書に対する一番短いカウンターとしては、「フィルター自体も淘汰されていくよね」という話かもしれない。もちろんそのためにユーザーが声を上げなければならないというのは賛同しつつ。

Deliciousを久々に見たらひどいことになっていた件

Deliciousを久々にみたら、ひどいことになっていた。

 

Delicious

 

はてなブックマークの元ネタくらいに考えていたのだが、今はキュレーションサービスに舵を切ったらしい。キーになるのは「Stack」という概念だ。Pinterestをご存知の方はPinterestの「Board」にあたるものだと考えてほしい。

 

Deliciousでブックマークしようとすると、ブックマーク画面でどの「Stack」にそのページを加えるか選ぶよう迫られる。あとから変更できるのだが、Deliciousのトップページはすべて「更新されたStack」の情報が並んでおり、このStackが重要な機能であることが分かる。

 

Stackは、要はNaverまとめページだ。自分の好きな切り口で、自分のブックマークしたページ(引用含む)や画像、動画を1つのページにまとめられる。

 

はてなブックマークがユーザーをユーザー単位でしかフォローできないのに対し、DeliciousはこのStack単位でフォローできる。Stackはタグとは異なる概念だ。タグは「サッカー」というタグの下に、そのタグを付けたすべてのユーザーのすべてのブックマークが集まるが、Stackはユーザーとトピックの掛け合わせで出来ている。AさんのサッカーというテーマのStackをフォローした場合、Aさんが作るラーメンというテーマのStackは自分のフィードに入ってこない。はてなブックマークでは一度ユーザーをお気に入りにしてしまえば、その人が何をブックマークしようが、その情報は「お気に入り」フィードの中に入ってくる。

 

はてなブックマークの課題はお気に入りに入れるユーザーを見つける導線が細いことだが、Stackがあれば、Stack単位でユーザーの趣味や考えを見せることができる。ユーザーに対する興味関心の導線が、増えることになる。

 

……とここまで書くとずいぶんいいことづくしのようだが、僕はこれを机上の空論だと思っている。図に書くとこれはかなり綺麗だ。上手く機能するように思える。ところが実際に出来上がったStackページを見ると、実に中途半端なのだ。ある人はStackを自分のブックマークを整理するための概念として使い(カテゴリー分類的に使っている)、ある人はNaverまとめのように、Stack1ページ全体で1つの文脈を作ろうとしている。

http://delicious.com/stacks/view/Ot3fGq カテゴリ的に使われた例

http://delicious.com/stacks/view/OxAPLq 1つの文脈を作ろうとした例

前者の、情報整理的な概念のStackページの中に後者のNaverまとめような文脈はない。そのためStackページ単体で見ても、とくに面白見はない。一方Naverまとめのように作られたStackページは単体で見て面白いものもあるが、一度文脈が作られてしまえばその後そのStackページが更新されることはほぼないだろう。Stack単位でフォローするメリットはない。しかもぱっと見たところ、Delicious内に面白いStackページを見つける手段が見当たらない。

 

とにかく中途半端である。Stackというページが、ユーザーに対してどのような価値をもたらすのかとても曖昧なのだ。単なる情報整理のためのクッションページなのか、全体で1つの文脈を作るのか。同じ「オンラインに情報をクリップする」という行為でも、前者と後者では全く意味合いが異なるし、アウトプットは異なるものになる。にもかかわらず、DeliciousはそれらをStackページという単一のアーキテクチャにまとめてしまっている。

 

Double click ad planner  でhttp://delicious.com/ のユニークユーザー数の推移を見てみたところ、リニューアルがあった昨年の秋以降、ユーザーの減少は止まっているようだ。ただそのあとは横ばいで、ユーザーの拡大とまではいっていないようだ。

キュレーションサービスとアグリゲーションサービスの違い

こんなものを見つけた。

 

Pittaa

 

プレスリリースによれば、「Hot と Like の 2 つのタイムラインで情報収集を効率化する、キュレーション型 Twitter クライアント」だそうである。

http://fuller.co.jp/press/pittaa.pdf

 

キュレーションを標榜するサービスは2010年くらいから数多くリリースされている。見せ方もキュレーションのロジックもかなり多様だが、その一つに「アグリゲーションメディア・アプリ」というのものがある。

 

http://paper.li/

http://gunosy.com/

http://www.crowsnest.tv/

http://summify.com/

http://flipboard.com/

 

有名なのはここら辺だろう。いずれもTwitterFacebookといったソーシャルメディアのアカウントを利用し、タイムラインにあるURLを引っ張ってきてニュース風に見せるサービスだ。あとははてなブックマークのマイホットエントリーなんかもそう。

 

これってキュレーションサービスなんだろうか?

 

キュレーションとはそもそもなにかを論じ出すと本一冊どころでは済まない話なのであれだが、僕はキュレーションサービスが与える付加価値というのは3つあると思っている。

1.縦の文脈:過去の関連する情報やモノとの関係

2:横の文脈:似たようで違う情報やモノとの関係

3.キュレーターそのもの・プロダクトそのもの

 

3はほぼ信者ビジネスと言うか、まあそういうものなので省略する。1はある情報やモノが時系列的にどのような意味を持つのかを明かしてくれることを指す。関係性の解説である。2は関係するけど別のものをとにかく並べる、網羅性である。

 

何故この3つがそもそもキュレーションサービスのもたらす価値なのかはさておき、上記のアグリゲーションサービスは、こうした3つの価値をもたらさない。アグリゲーションサービスは、文脈を作らない。ソーシャルメディアの持つ価値は、自分と自分のタイムラインにいるユーザーの関係性=ソーシャルグラフであり、その関係性の重みづけは、自分だけが知っている。

 

冒頭にあげた「Pittaa」は、リプライやファボ・RTなどを通じて、自分が気になっている人を機械的に抽出してくれるらしい。確かにやってみるとそれなりの精度はある。そりゃそうだ。その人が気になっているから、リプライしたりRTしたりお気に良りにしているんだから。話が逆なのだ。機械に頼みたいのは僕等の頭の中にあるソーシャルグラフとその重みづけをリバースエンジニアリングすることではない。

 

キュレーションサービスに頼みたいのは、今や僕等の周りに森林のごとく広がった消費空間の生態系を解体し、再構築することなのだ。つまりその商品や情報が持つ背景を教えてくれて、その文脈に連なる別の商品や情報を見せてくれることだ。キュレーションの時代とは、一億総大塚英志化である。

 

……みたいな話をどうも会社の某クローズドイベントで話すようです。というか話したい。その準備に書いたメモでした。色々具体的な話が抜けていたのはそういう理由。